なんだかんだとバタバタしているうちに東京の桜はほとんど散ってしまい、今年は花見ができなかった。僕が住んでいる多摩川沿いではそれは見事に桜が咲き、週末は人でごった返す。去年は自粛ムードに突っ張らかって、編集部員と『浅草秘密基地』の常連さんたちとで楽しい宴を開催したのだった。自粛騒ぎでイベントがバタバタと中止になったせいで、週末がポッカリと空いてしまったのを利用して開催できたが、今年はありがたいことに毎週末にイベントがありできなかった。そう、よくよく考えたら花見なんてできるわけがない僕であり、今年が通常の春なのである。だが〆切後で発売前の5月6日はイベント仕事が入っておらず、コイツはチャンスとばかり名付けて『葉桜見』の開催を決定した。『浅草秘密基地』にみえた方々に話すとみんな大盛り上がりで、新緑の美しい葉桜を観ながら酒を酌み交わすことになったのだ。楽しみだなー。
四季に恵まれた我々日本人は、花を愛でる気持ちが強い。その中にあって桜は圧倒的なスターであり、江戸文化でも花見は庶民の楽しみの1つだったそうだ。呑めや歌えやの大騒ぎは我々のDNAレベルにまで入り込んでいることになる。だが染井吉野がつくられたのは江戸末期で、もう少し地味な花で楽しんでいたようだ。染井村(現在の東京駒込辺り)の植木職人が、掛け合わせを繰り返し開発したとのことで、それまで主役だった奈良原産の吉野桜を意識しての命名だった。現在では山桜と呼ばれることが多い吉野桜が、よく和歌に詠まれる花であるのだね。豪華絢爛の染井吉野は、遊び好きの江戸っ子文化から生まれ全国へと波及していった。江戸は感性豊かな遊び人たちの国だったのだ。余談ながら、江戸の後期には蕎麦、寿司、うなぎ、天ぷらなんかの屋台が大流行していたそうで、ほぼ24時間飲食には困らなかったなんて話もある。遊び好きでグルメで宵っ張りの江戸っ子の血を引き継いで、今宵もガンガン遊びたいものだが、締めきりってヤツは江戸っ子を静かにさせるのだ。