吉田拓郎さんへの感謝状。

録画してあった『LOVE LOVE あいしてる 最終回・吉田拓郎 卒業SP』をやっと観た。これは永久保存版だなと楽しめた内容だった。そしてこんなにも潔く引退するものなのかと、清々しさと寂しさが同居した気分だ。番組で見た感じでは、まだまだ何の衰えも見えず、もったいないと思ってしまったが、ご本人にとっては我が人生に悔いなしといったところだろうか。

 

吉田拓郎の名を強く胸に刻んだのは、大変恐縮ながらクイーンのライナーノーツだった。『オペラ座の夜』で、大貫憲章さんのペンによるものだった。今会社でこれを書いているから確認できないのだが、間違いないはずだ。「イメージの詩」の歌詞を引用してロックの時代の変化を書いていた。「結婚しようよ」のイメージしかなかった吉田拓郎さんという方が、こんなにすげえアルバムに引用されるんだなと、全くもって失礼な印象を刻んだのである。

 

声や曲、姿勢などなど拓郎ワールドの魅力は数あれど、日本語の持つ力を活かしきった歌詞にいつも唸っているだ。前述の「イメージの詩」も見事だし、俳句のような「夏休み」は美しい。番組でも演奏された「落陽」や、「唇をかみしめて」はしょっちゅうカラオケで歌う。「アジアの片隅で」をテレビで観た時には、自然と涙が流れていたっけ。ど真ん中世代ではないにしろ、多感な頃に多くの傑作がリアルタイムで打ち込まれているのは幸せである。アルバム『ひまわり』はタイトルチューンが大好きで何度も何度も聴いたし、武田鉄矢さんが張り切っていた龍馬の映画『RONIN』の主題歌も素敵だった。うんうん、やっぱりどれも歌詞が凄すぎる。

 

『LOVE LOVE あいしてる』が始まったのは 1996年とのことで、もう少し若い頃に見ていた気がしたが31歳だったのかと時空の旅に出た。企画した雑誌としては処女作となる『カワサキバイクマガジン』を世に放った年だ。カワサキのネタしか扱わないバイク雑誌って、後に『昭和40年男』なんてカテゴライズで雑誌を出してしまう変態なのがよくわかる。って、ちょっと逸れた。拓郎さんは1946年生まれとのことだから、この番組に50歳から関わった。番組でも語っていたが、その歳の日本音楽界の超大御所が17歳の子供たちとこの番組づくりを通じて、たくさんのことを教わったのだと語っていたのが感動的だった。これもまた拓郎さんなのだ。

 

引退は寂しいことながら、その歌は永遠に残っていく。やはり感謝しかない。
 

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