旧交から見えた、懸命の素晴らしさ。

連載企画の「パンチ!なミュージック」を執筆してくださっている野田さんと呑んだ。今まで書いていただいた内容を中心にした、氏のロック取材経験を肴にした贅沢な夜だった。野田さんはマガジンハウスと社名変更する前の平凡出版時代から在職し、『週刊平凡』『平凡』を経て『平凡パンチ』の洋楽担当になった。それまでロックはほとんど知らず、ジャズを好んで聴いていたそうで、担当に就任して突如、毎日のように届く洋楽新譜を聴きあさる日々をスタートさせたとのことだ。

これまでの連載をさらっていくと、レッド・ツェッペリン来日公演の大興奮から始まり、初の海外取材となったニューヨークでのデヴィッド・ボウイのコンサート会場ではマリファナが回っていた話。『ミス・ユー』を引っさげてのローリング・ストーンズのロンドンコンサートバックステージと夜中の3時から始まったミックのインタビュー取材。ボブ・ディランのインタビュー取材後に交わした握手で感じた、やわらかな手。ピストルズのジョン・ライドンインタビューでは部屋の窓が黒い紙で覆われていて、昼間だというのに真っ暗な中で行ったこと。現場を駆け回った重みがズシリとくる、昭和40年男にとってたまらない内容でこれまで綴られてきた。『パンチ!なミュージック』原稿は、編集長の仕事を超えて読み込む、楽しみにしているページだ。

この夜を彩ってくれたのが、宴の場となった寿司屋のオヤジさんだ。ある夜、赤坂のこの店を出す前は「マガジンハウスのすぐそばの店にいたんですよ。大勢にかわいがってもらいました」と聞き、なんとなく野田さんの名を口にしたら、よーく知っている、ずいぶん世話になったとのことだった。ならばちょうど後日呑むことになっているから、ここに来ていただこうと実現した。それにしてもなんという偶然なのだろう。世の中ってヤツはおもしろいものだ。

入店するとすぐさま始まった、旧交を確かめ合う2人の大先輩の姿がいい。人間ていいなと思う瞬間だ。カウンター越しに対峙した2人は、当時のクレイジーな話に華を咲かせる。時代が沸騰していたんだな、昔をうらやましく思ってしまうのはあまりよくないが事実であり、出版業のイケイケドンドンな空気を吸えて元気になる。46歳ならまさにこれからだと、うらやましがっている僕に釘を刺すようなありがたい言葉をいただいた。おかしいのが「○○はどうしてる?」「死にましたよ」から始まり、離婚しただの浮気がばれただの、旧交連中のその後である。当時のハチャメチャぶりに笑い合う2人の姿を見ていると、こちらまで楽しくなってくるのは生き抜いた証が見えてくるからだ。懸命に時代を追いかけ、自分の領域でしっかりと前を見て過ごした2人から感じるものがたくさんあった。

野田さんは昭和14年生まれだから、26年後の自分の姿だと思うとこれもまたおもしろい。今つき合っている連中とこんなふうに笑いながら過ごす日が来るように、懸命に走るしかないな。2人の先輩に感謝の夜だった。
 

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