二度目の梅雨明けとか言っちゃってる東京は、まさしく夏日だ。誰も彼もが最高齢で迎える夏なわけだから、人生最高の夏を目指したいものですな。そして 僕はといえば、夏雲の誘いに背を向けて今日も元気に 最新号 (vol.74) のご紹介、大編集後記をつぶやかせてもらう。
昨日つぶやいた 森田順平兄貴のページが終わると、間髪入れずにがんばるタメ年男のコーナーとなる。タイトルこそ変化はしているが、こちらは 創刊号からずっと貫いている企画だ。このコーナー、というよりこの雑誌には独自のキメ事がある。『昭和40年男』を名乗っている雑誌にとっての “タメ年男” とは、昭和40年の元旦生まれから、翌41年の4月1日生まれまでを指しているのだ。厳密に考えると早生まれの方々は1コ上の先輩で、遅い方では昭和41年男となるわけだ。そして読者さんには周辺年齢の方がたくさんいるのを知っているから、同世代諸氏を “俺たち世代” と呼んでいる。“僕ら” と言うとこっぱずかしいし、ちょっぴりよそよそしいからこうしている。が、自分を “俺” とするのは逆にこっちはしっくりこず、このブログでは “僕” として、誌面では “筆者” と名乗っている。ちなみに弟の『昭和50年男』では同世代諸氏を “オレたち” と括っていたりする。
ずいぶんと回り道しちまった。創刊から続くがんばるタメ年男のコーナータイトルは「荒海に生きるタメ年男。」として、毎度ユニークなページになっている。人生の数だけ歩んできたドラマがあるわけで、それを元にして未来を切り開いていく。ルンルンと歩んでいるやつなんてほとんどおらず、努力でやっとの一歩を踏み出している。それをみんなで共有したい。創刊した44歳の時よりまったく変わらない。今回登場していただいた松永光弘さんも、凄まじいドラマを四角いリングで描いてきた。いや、彼の場合は四角いリングとするのは正しくない。後楽園ホールの2階バルコニー席から相手に向かって飛ぶのだから。“ミスター・デンジャー” たる所以である。
プロレスの世界でスターになることは、言うまでもなく並大抵のことではない。それを手に入れた男であり、どんな危険なデスマッチにでも飛び込んでいった男だ。だが松永さんは30を過ぎたあたりからプロレスと距離を持ち始めた。本文の表現を借りると「レスラーとして脂が乗ってくる時期にリングから遠ざかっていった」のだ。この理由と現在のステーキ店オーナーとの接点とは? これはかつてのファンなら読まなきゃソンソンである。彼を知らないとしても、生涯現役を語る元プロレスラーの話は俺たち世代には突き刺さること間違いなしだ。この夏をもっともっと燃えるために『昭和40年男』をぜひ手に入れて欲しい。