ああ懐かしのスポ根野球 〜大編集後記。

 
今日も元気に 最新号 (vol.74) についてつぶやく、大編集後記じゃーっ。昨日ご紹介したとおり、連載特集の『夢、あふれていた俺たちの時代』では 昭和54年 を切り取った。この年の出来事から、印象に残ることや今更ながらなるほどと唸るネタを担当編集たちが探してくる。この特集は創刊2号で始まり、たちに想い出深い昭和を何度も巡っているから、以前にもやったネタでない新鮮なものを取り揃えているのだ。うーむ、過去ネタながら新鮮とはこれいかに。まっ、気にしない気にしない。4ページで6つを掘り下げていて、高校野球とプロレスネタは毎度ほぼ入れ込んでいる。今回は中2の俺たちを感動させた浪商の奮闘記である。

 

ご覧の写真の力の入り具合が素晴らしい。あの年、浪商は春準優勝、夏ベスト4の大活躍だった。言うまでもない、この写真の主である 牛島和彦投手と “ドカベン” こと 香川伸行捕手が引っ張ったチームだった。きっとみなさんの記憶に鮮明に残っていることだろう。

 

インタビューに応じてくださったのは牛島投手だ。記事冒頭からしびれる言葉が飛び出した。「投げてんのは俺や!『黙って見とけ』って言うてこい!」と監督から伝令に来たチームメイトに、この年の春夏一度ずつ浴びせたという。本文では、伝令が牛島投手のもとに向かうに至った試合展開と、伝えたチームメイトにこの言葉を浴びせた男のソウルを綴っている。もう読んだ方はきっと「うーむ、痛快じゃった」と唸っていることだろう。ほらほら、買いでしょ。

 

当時の高校野球でよく聞くのは、無理を押しての故障の話だ。球数制限なんてなく、連投連投に加えて招待試合でも酷使させられる投手たちだった。こればかりはいい時代だとは言えないが、スポ根は俺たち世代にはあたり前田のクラッカーだった。加えて、高校野球は人気コンテンツであるがゆえ、大人たちに振り回された球児たちだったのだ。牛島投手も春の準優勝の後に腰を悪くして、痛み止めの注射を打って投げたこともあったそうだ。それも、春の準優勝投手としてテレビ中継が入っている招待試合だというのだからクレイジーな時代よ。その後の最後の夏について本人が振り返っている。そして本文の締めでは、2014年に52歳の若さで逝った香川捕手に対する感動の言葉が向けられる。やっぱり、読まなきゃソンソン
 

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