あっ、明日は海岸清掃イベントなので、良い子のみんなは来てちょうだい。って、昨日もそんなこと言ってたじゃないか。どんだけ命懸けなんだってか (笑)。いよいよ「昭和ジェネレーションパラダイス」もあと1週間後で、目まぐるしくも充実した日々を過ごしている。と、そんな折の土曜日だ。発売から二度目の週末だってのに、まったくしつこいねえ僕は。巳年だからね。今日も元気に 大編集後記 (vol.73) をつぶやかせていただく。
こうした一見地味に感じる記事が深かったりするのが『昭和40年男』の魅力だ (出たーっ) 。正直な話、小学3年生の頃に高校野球に精通していたなんてヤツは、昨日ネタにしたカーペンターズ同様、あまりいないだろう。が、野球で育った世代の俺たちにとって江川という名はビッグブランドであり、少し以前まで連載を続けていた野球人インタビュー企画でも、さまざまな意味で江川の名前を挙げる方が多かった。そしてその全盛期は高校時代だったというのも嘘か誠か知らないがよく聞く話だし、巨人入団騒動から活躍、潔い引退に解説者としての明晰さなどなど、俺たち世代にとって野球における “怪物” とは江川投手と断言していいだろう。その全盛時に投げ勝った男の登場なのだ。
江川投手が高校3年の時に一つ下で投げ勝った、土屋正勝さんである。その勝利は彼の看板になり、そのせいで招待試合が激増して故障してしまう。招待は “江川に投げ勝った男” との対戦を望んでのことだから、どんな状態でも投げなくてはならないのである。が、そこを乗り越えて3年生の夏の大会で優勝旗をつかむドラマは、本人の語りによってググッとくるぞ。残念ながらプロでは故障続きで活躍できなかったそうだが、これも看板による無理が引きずったのかもしれない。
当時は根性とうさぎ跳び、水を飲まないことに対する反骨精神が学生スポーツを支えていた。今の学生たちが聞いたらずいぶんといかれポンチな話だろうが、やっている選手たちは信じ切っていたのだ。そこを決して否定しないのも俺たちで、呑み屋では肴にしてガハハと笑う。教師の暴力同様にだ。ずいぶんとこの国は変わったんだなあ。ぜひっ、読み込んでいただきたい。
うさぎ跳び、やりましたね〜。トラックのタイヤ引いて。水も顔を洗うふりしてすするのが異常に上手になりました。
指導の一環でビンタされて怖くて首をすくねたら、耳に直撃して鼓膜破られた友達もいましたが、家に帰っても、そりゃお前が悪い、の時代でしたね〜(懐