あいかわらず経済は回らない。今月4日より再開した「浅草秘密基地」は、その初日こそ厳寒の本降りにもかかわらず11人の来場があったが、先週は4人、昨日も5人と振るわない。まだまだどんちゃん騒ぎには慎重にならざるを得ないのだろう。が、昨夜はとんでもない初参加があったのだ。
店名で検索したら出てきたとのこと。???と思ったあなた、当然ですな。ましてや今日の写真なのだから、さっぱりチンプンカンプンだろう。では、説明しよう。店名とはこの写真の真ん中の僕が、この当時バイトしていた上野の居酒屋のことだ。知る人ぞ知る、やかん酎ハイで有名な「あいうえお」だ。僕は17歳ながらなぜか19歳と記された履歴書で雇っていただき、働き続けながら稼いだ金をバンド活動や楽器に注ぎ込んだ。写真がどこのライブハウスだかは覚えちゃないが、ともかくメンバーでわかるこの頃はおそらく20歳だ。
その20歳の頃、一つ下の彼は19歳で「あいうえお」に入店して、厨房で働いていたと言うじゃないか。僕はホール係で、でかい声で「いらっしゃいませ〜」を繰り返していた。ホールにさらしとなる焼き場を主に担当していた彼だったので、僕のバカでかい声を聞き続けていたのだ。
「浅草秘密基地」の舞台となっている ショットバー「FIGARO」に入ってくるなり、自分のことがわかるかと問う。先日の藤沢のイベントでお会いした方とよく似ていて「藤沢からでしょ」と失礼なことを言ってしまったが、「あいうえお」の厨房で働いていたと名乗られるとあらら不思議、彼の19歳当時の顔が鮮やかに蘇った。そして積もる話がいくらでも出てくる。この再会がなければ一生仕舞ってあったままだろう記憶が、いくつもいくつもだ。前日の晩飯は覚えちゃいなくとも、20歳の記憶は鮮明に蘇るからまっこと不思議だ。そして互いに、今じゃ考えられないような、とても書くことさえもできないような職場環境についていったど根性を称え合った。確かに現代と照らし合わせたら “ハラ” と称されるだろうが、僕らはそんなことこれっぽっちも思っちゃいなかったし、愛ある指導は今も宝物だなとコンセンサスだった。あの頃ありて今の人生だと頷きあい、ついつい呑みすぎたマンデーナイトとなったのさ。
この偶然は、ヤツが引き寄せたのかななんて考える。ヤツとは向かって右のギタリストで、高2よりもつれるように生きた相棒だ。18年前の今日、ヤツは首を吊った。今宵は影盃で二人で呑むのだ。そしてヤツもなぜか履歴書に19歳と間違っちゃって、僕と一緒に「あいうえお」で働いていたのさ。
その前夜となる奇妙なマンデーナイトはネット社会が運んできたのだが、そのせいだけとは思えない。なっ、相棒直樹。