この壁の向こうに、僕の居場所があった。夜遅くまで営業していた居酒屋で、魚料理が絶品だったからちょくちょく使わせてもらっていた。原稿と戦った後に、一人でカウンターに腰掛ける時間はいつも至福だった。看板娘はそっくりの二人で、双子なのか姉妹なのかはとうとう聞けずじまいだった。二人とも心地よく声をかけてくれるから、疲れを癒すには最適の空間だった。
創業はぬぁんと昭和10年で、店には古い写真が飾ってあった。そんな老舗ながら偉そうにせず、そっと寄り添ってくれる感じがたまらなかった。だが、おそらくコロナに負けたのだろう。去年の秋、コロナが少しよくなってきた頃に一人で座った時は、お客さんが戻ってこないと嘆いていた。ひとつはリモートワークが進んでしまったことだ。浜松町はわざわざ呑みに行く街でない。多くある会社に勤める方々が、帰りにフラッと暖簾をくぐる。まん防が解除になったってえのに、会社に人が戻っていない。これは我が街の飲食店全体に深刻である。そしてもうひとつは、呑みニケーションの意義が変わってしまったことだ。同じ職場の者同士が呑みながらあれこれ話す。確かに現代社会は無意味と断罪するのだろうが、とくに若い人の意識はクルマと同様の “合理的離れ” だと感じている。酒場に漂う情緒を楽しむことをしなくなっていることも大きい。これもまた飲食店にとっては深刻である。バーのような男が男を磨く場所に興味を示さない男が激増している。うーむ。
さてさて、これまた悲しい出来事だ。少し以前のある書店棚である。うちのスタッフが懸命になって女子向けに作っているのに、なぜ歴史コーナー? 『anan』の隣が希望なのに、なんでこんなひどい仕打ちなのだろう。書店さんのいじめかとも取れたこの棚の前で、僕はしばし茫然とした。歴女にオススメという判断なのだろうか。確かにノスタルジーをかき立てるように見えるからか。でもね、歴史書じゃないでしょ。ワンコ特集だよ、ワンコ。鎌倉様だってきっと怒るよ、これっ。
『昭和40年男』を出したときも同じく、当初は棚が安定せずおよそ3年かかった。『昭和45年女・1970年女』は次号でやっと1周年だから仕方なしだとしよう。そして、いつか見ておれーである。ただ、時代はどんどん雑誌を不要なものにしている。なんだか酒場と同じように思えてきてしまう。そしてこうした売り場を見ると、自らでそうしていると思えてくるのが悲しいのである。リモートによってビジネス街の書店も大ピンチのはずだ。ただ、うちの雑誌に関して言えばネットよりも圧倒的に書店売りが多い。僕は常々、情報でなく情緒を売っていると自分に言い聞かせている。手に取って、パラパラとめくって購入を決定する。訴えかける武器こそが、情緒なのだ。その最前線で戦う書店さん、共にがんばりましょう。
居酒屋とかはまさにコロナの影響で潰れてしまいかねない店が相次いでますね。なかなか本屋もリアルに行けずらいし、Amazonとかで注文した方が楽っちゃ楽だけどやはりまずはお目当ての本を本屋で探してからにしましょ。それにしても、なぜ昭和45年女が歴史書とかの雑誌のコーナーに……?今はどうなってるかは気になりますけど、やはりちょっと場違い感が半端ないです……。今放送中の鎌倉殿の13人の鎌倉殿こと大泉洋の源頼朝も『なんでこうなっちゃったんだよ〜、俺綱吉じゃねぇし、昭和45年って歴史的に見たらそんな昔じゃねぇだろ‼︎』と突っ込まれそうですねぇ…。