我が街、浜松町のアイドル・小便小僧はもうすぐ入学式である。ありゃ? 1秒ほどの時間の後感じた違和感は、ランドセルが赤? さらに蝶ネクタイも? これはいわゆるジェンダー対策なのだろうか。社会が向かおうとしている方向を受け入れることは、当然の責務である。が、それはそれとして、立ちしょんしちゃってる小僧にこの衣装はやりすぎというか、ビクビクしすぎているのではないか。逆に、粋な姉ちゃん立ちしょんべんてかあ。
思えば僕らがピッカピカだった頃は、やかましいくらいに男女は男女だった。「男らしくしなさい」と日々言われ、外れたことをすると「女の腐ったの」なんて、今じゃ禁止用語も日常的だった。親だけでなく、教師やご近所の大人たちもそれは徹底していた。男らしくを根っこにすえて成長した俺たちは、女の子は守らなければならずのスピリットを掲げて精進を繰り返した。そしてやがて恋をするわけだ。
僕はこう見えて (どう?) 、ジェンダー系の苦しみや悩みを聞くことが多い。それがどんな内容だろうと、しっかりと受け止めながら変わらずのお付き合いをさせてもらっている。他言しないことを守るのも自信ありだ。そんな僕だが、先日知り合った方の行き過ぎの振る舞いには閉口させられてしまった。こんな感じだ。自分の性を受け入れられず、ガキの頃より苦しんできた。ある日、受け入れられないことを誰にでも主張することにして楽になれた。そこまではすばらしい。だが男、そして女という単語を会話の中に入れ込むとすぐに噛み付いてくるのだ。もはや、そこに対して主張をしないのは自分ではないのだと、そもそものところから外れてしまっている。理解のない社会と戦ってきた、苦しんできたことはわかる。その辛さを主張に変換できたのだがら、さぞ苦労があっただろうことも理解できる。だがその上で、もう少し寛容になれてこそ完璧じゃないか。歩み寄ろうと社会は変化しているのだから、それを理解しながら主張するのがよろしいのではないか。と、そう言えなかったことを後になって後悔していたりする。
『昭和40年男』は、雑誌名を “男” としちゃっていて、内容も男臭ビンビンである。もしかしたら将来許されなくなってしまうかもしれない。そこまで極端な社会にはならないとは思うが、僕は男らしさの主張や価値観の表現をむしろ強くしていきたい。な〜んて、ピッカピカの一年生になろうとする小僧の違和感が、こんなことをつぶやかせてしまったよ。よくよく考えたら、長い付き合いになる大好きな小僧から初めて「???」を感じたのだった。今月の下旬までこのコスチュームだから、浜松町にお越しの際はご覧あれ。横浜方面ホームの一番前だ。
『こないだ昭和40年男は永遠に不滅です‼︎』と言って下さったのに早くもタイトル変更の危機が……⁉︎それならタイトルの小学一年生から取っちゃって男でも女でも無い昭和40年“生”で行きましょう‼︎生は生でも『昭和40年生まれ』を意味していますから、これなら文句言われません(笑)‼︎色々昭和の当たり前がコンプライアンスとか何とかで消えていたりして寂しいですねぇ……。でも、やはりちょっとばかしは残して欲しいと思います。これもこれで時代の良さでありますし。今の若者の昭和レトロブームもそうであるから、昭和の良さを次世代に伝えたいですねぇ…。