僕の通勤の乗り換え駅で、都内有数の呑み屋街の蒲田でこんな看板を見つけた。うーむ、いい仕事である。この大胆な宣言となるコピーを含んだビジュアルが見事だ。キリンビールから金をもらったわけでは決してないが、ここまで見事だとつぶやきたくなる。そもそも吉永小百合さんが大好きだし、彼女にしっくりとくる色合いがいい。そして、製品名は入れずに “3.29” ときたもんだ。挑発とも言える3.29の今宵は、キリンビールにじっくりと付き合うつもりだ。
脱線する。音楽の夢を追い続けながらも年齢による焦りが出てきた20代の頃、ぼんやりとだが広告のコピーの仕事がしてみたいと思った。しつこい巳年だから夢を諦めることはなかったが、転機となったのは長年勤めていた居酒屋をクビになったことだ。そこの会長とは以前から折り合いが悪く、とうとう僕はぶっちぎれてしまったのだから若い。「二度と上野を歩くな」まで言われ、営業中だってのに店を追い出された。
この時のチャレンジが人生を今へとグーンと近づけた。ぼんやりだったコピーを書く仕事についてやろうと考えたのだ。求人誌から広告関係の会社で大卒が条件になっていないところ、つまり僕でも面接を受けさせてもらえるところを5社選び、1日で回れるようにブッキングした。朝から自分をさらけ出して回るのは結構な疲労だったのを覚えている。当時はバブルは弾けたと言われてはいたが、まだまだ社会は元気だったからか3社に受かった。この日の面談で僕はコピーが書きたい、長年作詞をやってきたから自信があるとセールスしたが、今考えると顔が赤くなってしまうほどな〜んもわかっちゃいない。
雑誌作りに長く関わっているが、今も広告やコミュニケーションのコピーを書く仕事は大好きで、先日もちょっとしたプレゼンをしてきた。『昭和40年男』やバイク雑誌で培ってきた文章の仕事によって、広告会社にいた頃より格段に力は上がっているのがわかる。そしてそれらは作詞にもフィードバックされるからあら不思議。若かりし日に殴り書きしていた作品とは異なり、責任感のある言葉が並ぶようになった (笑) 。ミュージシャンとしての作詞作曲から広告屋のコピーライターになり、そのおかげで編集やライティングなどの仕事へと発展した。すべてが僕の中で繋がっていて、そのベースが音楽作りであることはいくつになっても変わっちゃいない。そんな僕、このコミュニケーションに惚れ惚れしちまったのさ。今宵は吉永小百合さんと乾杯気分を楽しませていただくぜ。そして果たして、僕の中でビールは始まるのだろうか? これだけの仕事が施してあるのだから、その期待は高まるばかりである。