わからない表紙の『昭和50年男』。

東京は冷たい雨が降っていて、せっかく書店のかき入れ日曜日だってのにこれじゃあ台無しだぜ。カワイイ弟の『昭和50年男』(vol.015) が先日発売になったばかりだから、今日はバッチリ稼いでくれるはずだったのに残念だ。

 

さて、最新号の表紙はには全くわからないものだったが、そっち世代には受けがよろしい。前号 (vol.014) は懐かしの駄菓子の「ヨーグル」を採用しやがった編集長で、『昭和40年男』としてはちょっとやられた感があった。こちらもどうやら好評だったようで、ここのところ調子がよい弟だ。というのも、その前号となる今日のこのビジュアルになっているvol.13が、ネット内ではプレミア価格での取引が散見され始めている。おーい、ちょっと待っておくれよ。我が社のオンラインショップではまだガッツリ在庫していて、もちろん定価で送料無料だぞー。ちなみにこの表紙も僕にはチンプンカンプンだった。

 

ネット社会では、イレギュラーと言えばいいだろうかこうした事態がままあり、歯がゆいばかりである。少し以前には、『昭和45年女・1970年女』がやはりネット内で発売前からプレミアが付き、この時ばかりは我が社のオンラインショップにも注文が殺到してしまい在庫を切らした。ネット内で高騰する価格をよそに、書店では探せば手に入る店がまだあったが、とにかくこの高騰に歯止めをかけたく重版したのが記憶に新しい。おかげで一時的な高騰は抑えられたが、これは作り手としても書店としてもなんともやりきれない現象だった。

 

とまあ、小さな会社のどうにも行き場のない愚痴でしかなく、これが現在のリアルなのだから仕方がない。ただ、もう一度言うぞー。『昭和50年男』の vol.13 は定価で買えるぞー。そして皆さんには意外なことかもしれないが、雑誌においてはネット取引はまだ書店・コンビニ取引に比べると断然小さいのだ。こんな時代になっても、雑誌は多くの方々が書店で手に取って吟味するのである。書籍や、同じコンテンツモノとして音楽ソフトなんかはネット依存度が高いそうだ。この雑誌の特別感は、何か考え方のキーになると思っている。そして、書店という文化をどのような存在に変えていったらいいか。そんなことばかり悩みつつ、プレミアのついたページを「うらめしや〜」と眺めている日曜のおっさんである。
 

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