追悼、昭和の巨星。

周知のとおり、昨日石原慎太郎氏が亡くなった。昭和7年生まれの89歳ということで、もうずいぶん前に逝っちまったうちの親父と同じ歳だ。うーむ、2人は共通してタカだった (笑) 。

 

昨日今日と、報道で繰り返された枕詞は「歯に衣着せぬ」だった。現代が忘れかけている言葉だ。ネットの匿名だと多くが勇ましさを纏うが、名乗って堂々と「歯に衣着せぬ」者は絶滅危惧種である。昨日彼が去ってしまったことで真っ先に考えてしまったのは、そんな現代社会の寂しさだった。暴力を受けたことがないから、ひどい暴力を振るうんだと昔はよく言われた。現代社会に言葉の暴力が横行しているのは、その痛みを知らない者たちによる刃のような言葉である。石原さんは言葉の人だから、そこに問題意識を持ちながら貫いたのだろう。

 

東京都のボスとして多くの名案を牽引というか、激しく強行してくれた。意思を引き継いだ猪瀬さんがもっと長く続けられれば、東京はもっともっと輝く都市になっていたと思うが… ともかく、石原さんが東京都に尽力してくださったことは、江戸っ子として感謝の気持ちが大きい。

 

今では世界的なイベントとなった東京マラソンのそれこそ強行は見事だったが、発表後や終了後のマスコミの批判は凄かった。今となっては批判する者は一人もいないのではないか。週刊誌の記事に、第1回の開催は雨で出走前に使っていたビニール傘が道に山となって捨ててあったのを写真に収めて、目一杯の批判をしていたのを見つけた。「はいはいそうですね」とゲラゲラ笑った日が、昨日のことのように思い起こされる。東京に端を発し、全国に飛び火したシティマラソンプームによって、日本人の健康寿命は確実に延ばされたはずだ。

 

報道で象徴のように使われていたのは、ディーゼル車の都内締め出しだった。これも記憶に鮮明なのは、少々痛かったからだ。うちは古くからバイク雑誌を作っていて、トランポと呼んでいるバイクを積み込んで移動するディーゼル車を所有していた。ガソリン車に買い換え、さらに移動費もガソリンは軽油より断然高いから取材コストが増した。ちょっとつらかったが、石原さんのやることだから仕方ないやと素直に従ったよ。おかげで、写真のようなキレイな空を眺められる東京になった。もちろん石原さんの功績だけでないが、キレイな空を見るたびに黒い粉を報道陣の前で撒き散らすシーンが連結するのだ。

 

ずっと書き続けながら逝った。も言葉を使う端くれとして、死の直前までペンを走らせたい。最後の最後にそんな想いまで残してくれた石原さんに、やはり深く深く感謝だ。死後なんかないとおっしゃっていた方だが、どうでしょう、ありましたか? そしてもしや、まだ書いているのでは? まずはしばし、ゆっくりとおやすみください。日本人として、江戸っ子として、そして出版人として深くお礼申し上げます。ありがとうございました。
 

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1件のコメント

  1. 昭和40年生まれの僕たちが青春時代に影響を受けた
    たくさんの〝巨匠〟〝偉人〟たちが、すでに鬼籍に入られています。
    手塚治虫、司馬遼太郎、松田優作、つかこうへい、森田芳光、荒木経惟、大瀧詠一……
    そんな〝心の師〟を特集して、再び彼らに出会った頃に抱いた気持ちを
    思い出させてほしいです。

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