一年で一番好きな日が大晦日だ。今年を振り返ることは今日がもっとも鮮やかだし、明日迎える新しい一年に対しても希望をひたすらでっかくできる。そしてその今日、このタイトルでつぶやけることが、以前よりさらに大晦日を好きにさせている気がする。
2011年の今日にこのタイトルをつけて以来、毎年ずっと続けている。そして、そう生き抜くことを目指している一年だ。人生ってのは、歳を重ねれば重ねるほど困難ばかりが増えていく。逆風が強くなる一方なのは、同世代諸氏ならきっと多くがうなずいているはずだ。でも一方、ガハハと吹っ飛ばす胆力も加齢によって高まっているから生き抜ける。つらくなればなるほど、顔で笑って腹で泣くことが上手になる。毎年毎年、大晦日になるとそんなことを思いながら、やはり今年という一年に感謝の気持ちを強く抱く。
今年の漢字を 僕は「愛」とした。これは同時に「愛」なき「哀」でもあった。何度もつぶやいたことで恐縮だが、東京オリンピックをめぐる反対意見の中からアスリートに向けて汚い言葉が飛んだことに、僕は哀しみというかむしろ驚きに近いくらいの感情を持った。「えっ、この日本で」という気持ちである。我が国はここまできてしまったのかという深い哀しみであり、「それを言っちゃあおしめえよ」である。なんだかついつい寅さんの言葉が出てくるのは、お正月パターンの寅さんが自分の中に染み付いているからだな。
おっといけねえ、脱線しちまった。今年の漢字とした「愛」である。どこまで人を愛せるのだろうと、暮らしの中で考えさせられることが多い。これはきっと、加齢の中で育ってゆく大きなテーマなのだろう。そして前述のようなひどいこともあったが、開催されたオリンピックには愛があふれていた。コロナ禍で開催させるために力を合わせた愛は、哀よりも断然大きかった。そんなすべてにありがとうである。この気持ちには愛が強く内包されるのだ。
何年か前に書いた詞にこんな一節がある。
〜苦しみ抜いてるヤツにも なにかに怯えるヤツにも
真っ暗闇の俺たちにも 必ず朝は訪れる
平等なんてありえない 永遠なんてありえない
恐怖の中の俺たちにも 咲く一輪の花がある〜
なんだかまるでコロナのバッキャローを歌っているかのようだが、「やっとの一歩を踏み出せ」とタイトルしたこの曲には、加齢のしんどさがにじみ出ている。同世代諸氏のほとんどがもがき苦しみながらも、やっとの一歩を踏み出していることだろう。苦しい日々の中ではあるが、たくさんの笑いや感動もある。胸の中にいる愛を大きく育てることは、逆風の中にいる俺たちのきっと武器になるはずだ。アジテーションのようになってしまったが、僕の今年のラストメッセージとさせていただく。
ご提案だ。年明けの瞬間はみんなで心を繋げよう。お互い高らかに「カンパーイ」である。愛あれば繋がれる。繋がれば愛が育つ。では後ほど、世界中のガハハを祈って「カンパーイ」だよ。
そろそろ今年のペンを置くことにします。今年も一年、365回のつぶやきにお付き合いいただきありがとうございました。みなさん、どうぞよいお年をお迎えください。