ハードロックに感謝!!

昨日発表した表紙はまずまず評判がよろしい。発売日以降に、最新号 (vol.70) について触れる大編集後記をつぶやくのが楽しみである。で、今日はそうではなく、僕の四方山話としてお聞き入れいただきたい。

 

ギター小僧だったわけで、リッチー・ブラックモア先生とジミー・ペイジ先生は当然ながら狂ったように弾いた。当初はお年玉で手に入れたヤマハの定価1万5,000円のアコースティックギターが相棒だった。だが決してフォークソングをやりたかったわけでなく、硬くて太い弦ながらロックの練習ばかりを繰り返していた。余談ながら、ある日友人からスリーフィンガーとまるでヒーローの必殺技のような響きのテクニックで「22才の別れ」を聞かされた。この時は驚愕してちょっとだけ練習したが、ロック魂はまったく捨て去ることなく、ピックでゴリゴリと毎日むぁ〜いにちアコギを弾いた。親にエレキを買ってくれとの嘆願を毎日続けたのもある意味努力だった。あまりにも熱心な僕に親はついに折れ、グレコの一番安いものながらレスポール (ボディが空洞のヤツ) を手に入れたのだった。アンプまでねだるわけにはいかないから、ラジカセで鳴らしていた。よく歪むからリッチーやペイジをやるのには十分だった。

 

多くのギター小僧にとって、入門時はペイジよりリッチーの方が教科書的だったのではないか。「ハイウェイスター」「スモーク・オン・ザ・ウォーター」「バーン」は3大リッチー教習ソングだろう。一方のペイジで教科書的といえば「天国への階段」である。これらを猿のように弾きまくり、少しずつ少しずつ上達の道を歩んでいった。よくよく考えれば、15歳にもなっていないガキが、よくぞあれだけの熱意を注いだものだと思う。プロを目指す野球小僧たちと変わらない努力をしたと胸を張れるし、あの経験が為せば成るの精神を僕の中にビルドさせたのだ。つまりだ、ハードロックによって僕はその後の人生を歩ませていただいている。感謝だぜ、リッチー・ペイジ両先生。

 

記憶は曖昧ながら、中学卒業記念ライブでは上記の4曲は全部演ったのではなかっただろうか。さらにさらに「天国への階段」からリッチー先生の「キル・ザ・キング」をぶちかましたのは、超下手くそながら自己満足した。あの静寂のエンディングがら、ジャーンにつなぐ快感は今も色褪せないおもひでである。と、そんな中坊が将来こんな特集で勝負に出ていることを知ったら、どれだけ喜ぶだろう。いや、なんで音楽で食ってねえんだよとお怒りだろうか? まあともかく、感謝の気持ちがアレコレ心地よいサンデーナイトである。
 

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