つい先日、ここに出かけてきた。東京大阪に続いて、去年の夏にオープンしたばかりのビルボード横浜だ。お目当ては有山じゅんじさんとキー坊だ。と、こう書いてピンとくるのは西の方々だろう。キー坊は上田正樹さんの西の呼び名で、じゅんじさんはその相棒として「悲しい色やね」のかなり以前に活躍したバンド、上田正樹とサウス・トゥ・サウスのギタリストだ。1975年にはお二人名義で、日本におけるラグタイムブルースの最高傑作『ぼちぼちいこか』をリリースした。
’82年の秋にキー坊は「悲しい色やね」をヒットさせて誰もが知る存在となったが、上田正樹とサウス・トゥ・サウスは伝説のバンドであるものの、その知名度は全国的にはあまり高くないと思われる。が、高い演奏力と歌唱は ’70年代の日本のレベルとは思えないほどファンキーでパワフルだから、機会があったらぜひ聴いてみてもらいたい。『ぼちぼちいこか』も酒がサイコーに美味くなる傑作である。
僕が20歳になる年に大阪に移り住んだのは、上田正樹さんや憂歌団といった関西ブルース勢が強く関与した。土地の香りが染みついた彼らへのあこがれから、それを肌で感じたくなったのだ。「大阪で生まれた女」のBOROさんの存在も大きかった。なんとなくだが、それらの偉大なシンガーを生み出した片鱗みたいなものはあの極貧の暮らしで吸収できた。そんなキー坊への感謝の気持ちはあるのに、よくよく考えたらこれまでキー坊のライブは出かけたことがなかった。憂歌団とBOROさんはかなりの回数を重ねたし、憂歌団のヴォーカリトの木村充揮さんに至っては『昭和40年男』にご登場いただいている。
ド頭はなんと「ソウル・マン」できたからもう視界は歪む歪む。続けて「ホールド・オン」とR&Bの名曲2発で幕を開けたライブは、『ぼちぼちいこか』からも聞かせてくれて、僕のカラオケでの定番ソング「あこがれの北新地」もチョイスしたもんだからうれしいったらなかった。あの日、大阪に旅立つ背中を押してくれてありがとうの気分で泣いた。新旧曲とカバーを織り交ぜながら過ぎたあっという間の時間は、アンコールでまた泣かせる。「悲しい色やね」からずいぶん時を経てリリースされた、彼の円熟の極みと言える歌唱の「わがまま」をジーンと響かせて、さらにもう1曲が驚き桃の木だった。MCで何度もなんども訴えた世界の平和で、最後の曲では強く高らかなる歌唱となったのだ。くどいが本当にぬぁんとなのだが「We are The World」ときたもんだ。この曲を演ったことが、信じられないのと必然なのだとの想いが錯綜しながら、すばらしいライブは幕を閉じたのだった。そうそう「悲しい色やね」はご本人もおっしゃっていたけど、原型がわからないくらいになっているものの、かつてよりずーっといい歌唱とアレンジで聴かせてくれた。名曲に経年変化が加わった歌唱やアレンジは大概がっかりするけど、これは凄みを帯びた曲になっていた。また行くよー、キー坊。ありがとう!!
もう30年位前ですが六本木のライブハウスでフュージョン系のライブを見てた時、
黒人の歌手が連れの女性を舞台に上げようと
しつこく手を引っ張り続けてたら、
後ろから、え〜かげんにせいや!と
間に入ってくれたのが上田正樹さんでした。
悪気はないねんと言い、お詫びにと
悲しい色やねを歌ってくれました、
あの声、しびれましたよ!