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【伊藤 蘭 コンサート・ツアー2021「野音Special!」レポート Part2】
■ヒット曲連打! そして、ついに… 44年越しの “宿題” が果たされる!
取材・文: 石黒謙吾
『みごろ! たべごろ! 笑いごろ!』での挿入歌としてお馴染みだった「悲しきためいき」の後は、「やさしい悪魔」「年下の男の子」「暑中お見舞い申し上げます」とヒット曲の連打。
「暑中」はキャンディーズの曲の中で最も<コールの手数>が多い基本形で、どの曲でも使うのが、小節切れ目での「ランちゃん!」「スーちゃん!」「ミキちゃん!」という順の名前呼び。そして「シー・エー・エヌ・ディー・アイ・イー・エス・ヘイ!」「ゴー・ゴー・ゴー・ゴー・ラン・スー・ミキ・ヘイ!」という、前奏・後奏・間奏での、8拍アオリモノ。
前奏では最初入るタイミングがつかめない人もいるが、ずっとやって慣れてくると、この8拍が体に染み込んできて、初めて聞く誰の曲でも、その場で1回目からできるようになる。 間奏や後奏では終わりの歌詞のラスト1音にかぶせる感じでやれば上手くいく。
「暑中」限定モノとしては、冒頭の歌い出し「うー、わっ!」に合わせて、客席のこちらも「うー、わっ!」とやっての右手突き出しもあった。
これらの声に加えて、「パン、パパン!」という頭上に上げての手拍子のブロックも基本パターンで、これを通称「PPP」と呼んでいる。「暑中」の場合は「♪なーぜーかー パラソルに」部分でこれをやるわけだ。
なんと言っても解散宣言の時期に歌われていたシングルが「暑中」であり、もともと特別な感情が込み上がるのだが、それを日比谷野音で今また聴いている自分がここにいる。そう思いながら、コールを脳内で叫びながらペンラを振り「PPP」をやっていると、自然に涙がこみ上げてきて、パラソルを差すしぐさの蘭さんの姿が霞んでいった。
開場から2時間ほどが経ち完全に真っ暗となった野音は、アツくアツく燃えていた。声はなくともそう伝わってくる不思議。この後MCをはさみ、「微笑がえし」でいったん終幕。
アンコールとなり出てきたら、なんとなんと、あの解散宣言の日と同じ「ダンシング・ジャンピング・ラブ」が! …信じられない。「野音Special!」ってタイトルだからもしかしてあり得るかも?…と前もってちらっと考えたけど、あのハードな踊りではさすがに今の蘭さんはやらないだろうと思っていたから、なおさらの感激。後楽園ファイナルの5万人の興奮が今ここに再現されている。そう感じた。
そして間を空けずに次の曲でさらなる感動が押し寄せる。実現してしまった<1977.7.17>の再現。「さよならのないカーニバル」のイントロで涙腺崩壊。
前年の「蔵2」(蔵前国技館での『10,000人カーニバル VOL.2』) から歌われ始めたこの曲は、ファイナル以前のライブで何度も歌われてはいる。日比谷野音スタートの『サマージャック ’77』や、翌 ’78年3月に行われた、後楽園へとつながる全国縦断『ありがとうカーニバル』で。福岡、金沢、名古屋、広島、岡山、大阪、新潟、大阪、北海道の9回で、僕も本州開催の7回は行っている。
しかしながら、後楽園ファイナルのセトリ51曲の中では歌われていないのだ。意外な感じもするのだが、冷静に考えてみれば「さよなら」の舞台で「さよならのない」と歌うわけにはいかなかった、そういう決定だったと推察する。
キャンディーズ最後の晴れ姿となったステージでは聴くことが叶わなかった、あの日、3人が残していった “歌えなかった” 宿題と、僕たちが “聴けなかった” 宿題。そのお互いの心の隅にこびりついていた重い枷は、1万6,142日目に、ふわっと外れた。また「さよならのない」関係に戻れたのだから。
これで本当にキャンディーズの3人はゴールにたどり着いた。そして今度は、藤村美樹さん、天国の田中好子さんの想いと共に歌い続ける、ソロ・アーティストの伊藤 蘭さんとして、また新たなスタートを切ったのだ。
(次ページへ続く → ■心に刻まれた4月4日、7月17日の日付… 後楽園と野音は今も聖地 [4/5] )