生きるエネルギー。

写真は2013年1月14日のもので、が愛する雑種犬のフリスビーキャッチの瞬間である。向かって右側の足が切れていなかったらかなりの傑作だが、まっ、素人作品にしてはまあまあではあるまいか。

 

さてこの日だが、首都圏の方は記憶にあるかもしれない。成人の日なのに大雪で交通機関が完全に麻痺して、大変な成人式になってしまったと報道各社がこぞって流した日だ。首都圏は北の住人が聞いたらびっくりするくらい雪に弱く、交通インフラが麻痺するだけでなく転んで怪我人が続出するなど、新鮮な話題を報道各社に提供する、雪は偉大なるコンテンツである (笑) 。

 

電車が動いてないんじゃしょうがないと、この日は珍しくOFFを決め込んで愛犬を引き連れて撮影会を敢行したのだ。この頃は犬猫双方飼っていた僕で、まるで歌にあるように犬は喜び庭駆け回る、猫はこたつで丸くなるのを見ながら実感したわけだ。元気にまさしく飛び回る犬から元気をもらってビールを呑んだことが昨日のことのようだ。だが、最近の弱りようには年月の流れを強く感じさせられている。この日から8年半以上が過ぎ去り、もうこんな勇姿は皆無だ。耳はほとんど聞こえておらず、目もおそらく僕の裸眼 (0.02) より見えていないと思われる。もっとも来年の1月で18歳だから、人間に例えれば80歳をゆうに超えているのだ。

 

先月はいよいよダメかと思うところまできた。早朝の散歩に連れ出したのだがとにかく歩かない。あんなに好きだった多摩川の土手コースは大幅にショートカットされて、帰宅した僕をハートブレイクするのに十分なトボトボ歩きだった。が、ご安心を (!?) 。このところ少し元気を取り戻して、以前のようにとはいかないまでも、楽しそうに歩く姿に涙ぐんだりした。

 

先日、叔母の葬儀があった。犬っころの話題から展開するのは不謹慎ながら、元気で大好きだった叔母で81歳だった。で、親族で集まったわけだがお袋階層の叔父叔母は4人が来ていて、残酷なほどに年老いていた。小学生の頃、海へ山へと連れ出してくれた元気な大人たちの姿はなく、これまた年月の流れを残酷に感じさせられたのだった。そして、僕階層も仕事人生の終了を間近にしながら、なんとか生きているといった感じでやや疲れ気味である。だがその下階層は20代が中心でエネルギーが満ち満ちていて、ここには元気をモリモリともらえた。さらにうれしいことに、第4階層を連れてきた従姪 (読みはじゅうてつ・いとこめいとも言うそうだ) がいた。1歳の彼女は葬儀後の食事会では完全に主役だった。悲しい日にもかかわらず微笑みをくれる。生とはなんとすばらしいものよ。老いてはしまったが叔父叔母も含めて、集まった20人は大いに生きているのだと感じ入った一日だった。
 

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