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■1977年7月17日… 野音に絶叫の渦を起こした、突然の解散宣言
取材・文: 石黒謙吾
観客は何ごとなのかと静まりかえってステージの3人を見る。
ミキ「ごめんなさい!」
日比谷公園を包んだ暗闇の中、何が起こっているのか不思議に思いながらのファンから「ランちゃーん!」「スーちゃーん!」「ミキちゃーん!」「がんばってー!」と次々にコールが飛び交う。
ラン「私たち……」長い間があって「私たち… 今度の9月で…解散します!」
ステージに膝から崩れ落ちる3人。信じられない光景に遭遇したファンたちから言葉にならない絶叫が満ちていく。そして立ち上がるラン・スー・ミキ。
スー「私たち、デビューのときから3年間はがむしゃらにやろうって… 決めてました。でも、こんなにたくさんのみなさんが… 応援してくれたから…」
ずっと涙声のまま、スーは続けた。
「私たちは、もう1年間がんばろうってやってきました」
泣き崩れるスー。助け舟を出すようにミキ。
「本当にこんなにたくさんのみなさんが、応援してくれてるのに… 本当に悪いことだと思います! でも! …でも、一人ひとり、旅立ちたいんです!」
ここでバックバンドのMMP (ミュージック・メイツ・プレイヤーズ) がおそるおそるという感じで演奏を始め、ミキは続けた。
「みなさん、私たちの気持ち、わかってください!」
かぶせるようにランが「ごめんなさい!」
スーも「許してください!」
この後に、語り継がれる「普通の女の子に戻りたい」という言葉を残して、泣きじゃくる3人は、スタッフに抱えられるように肩を引かれ、舞台上に積もり積もった紙テープに足を取られながらソデに消えていった。
この様子は残念ながら僕が目の前で見て書いたものではない。あとあと映像を見て刻み込まれた情景。それは、ファイナルの後楽園や、’76年の蔵前国技館『10,000人カーニバル VOL.2』 (ファン間の通称は「蔵2」) には行っているのに、この場にはいなかったという大きな悔恨を44年間、僕に染み込ませた情景であった。
この年の春までキャンディーズのチーフマネージャーで、渡辺プロを退社〜独立し、すでに「アミューズ」を立ち上げていたのが、現在会長の大里洋吉氏。大里さんはこの会場にいたのだが、この時の模様を直接じっくり伺ったことがある。
会長は奥様と、まだ幼かったお子さんを抱っこして客席の一番後ろで観ていたらしい。そこに飛び出したのが、驚きの “解散宣言” だった。
ご存知のように、後方の客席には事務所、レコード会社、イベント、音楽業界など関係者が多い。また、コアなファンだと大里さんとわかっていた者もいる。周囲にいたそんな人たちが、宣言が飛び出した後、一斉にジロっと見てきたのだとか。何か知っているとでも思われたのだろう。ファンの中には目が血走っているような人もいて、これはマズイと、慌てて奥さん子供と会場を抜け出し、タクシーに飛び乗ったという。この話からもパニックとなっていたファンの激しい動揺が伝わってくる。
「春一番」にある歌詞「♪別れ話したのは去年の事でしたね」。後楽園ファイナルでここが歌われた夜、前年7月17日の野音の衝撃が蘇った。
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【伊藤 蘭「野音Special!」レポート Part 1 -①】
■1曲目に「春一番」、「HELLO! CANDIES」で “キャンゾーン” 突入! [3/4] )