昨日、東京駅でこれを見つけた。なんともさみしい気分にさせられて、しばし立ち止まって眺めながらいろんなことを考えた。自分史の中で燦然と輝くビッグイベントになるはずだった。開催が決まった8年前の高揚感が、このオリンピックの一番のいい想い出かもしれない。と、考えれば考えるほどさみしくて悲しくて。感動の数々はあったものの、それを邪魔する要素があることがつらかった。
このつぶやきから何度か発信した。是非の意見が飛び交うことはいい。だが、平和の祭典であるオリンピックによって心の分断が起きてしまい、反対派の言葉が鋭利な刃物のように開催を刺し続けた。確かに開催によってゆるみが生じたことは否めないとは思っている。今病床で苦しんでいる方々や、ましてや大切な方を亡くしてしまった方々には、許しがたい愚行だったとおっしゃるのも深く理解できる。
ただ、アスリートたちにはなんの罪もなく、また己の全てをかけてつらく長い期間を過ごしてきたのだ。それがほんの一瞬で栄光かその逆かが決まるスポーツとはなんと感動的であり、残酷なんだろうと思わされた。その舞台をお気軽に奪え奪えと書き込むネットピープルに怒りを覚えないはずがない。繰り返すが、意見を出すこと自体は間違っていない。言葉の刃にして、よりによってアスリートに刺す者たちが横行したことが、情けなくてならない。
僕がもっとも楽しみにしていたのが、体操の内村航平選手の金メダルだった。鉄棒だけに絞り、年齢と対峙しながらの1年延長がどれほど彼にとって重かっただろう。そこに涙が止まらなかった。JUDOでなく柔道を貫き、見事に金メダルを獲得した大野将平選手にも号泣した。マンガ作品の『リアル』で知った車椅子バスケも注目していたから、鳥海連志選手が苦しい体勢からゴールを決めるたびに涙があふれた。と、僕の涙量ベスト3がこれだ (笑) 。しかしそれでも、ふと気がつくと悔しさを噛み締めるという東京オリンピック・パラリンビックだった。オリンピックを知らない最高年齢が昭和40年男であり、どんだけ楽しみにしてきたか。世界中の青空を全部東京に持ってきてしまったような、晴れやかな気持ちで楽しみたかった… と、ウジウジするのはもうやめにしよう。アスリートたちに深く強い感謝の気持ちだけを残して、僕のなかの東京2020を閉幕する。