朝、友人がFBにストーンズのシャツを着た写真と “チャーリーおつかれさま” と上げてて一瞬「?」と「まさか」が入り混じり、そのまま検索すると「まさか」だった。世界中のロックフリークが強い悲しみを抱きながら、今宵の献杯となることだろう。
人は成長とともに、いろんなパースを自分の中に組み入れていく。周囲にいるリアルな人物から、ブラウン管の中のリアル&バーチャル、そして表現者たちからもたくさんの影響を受け取って、それぞれが有機的に絡み合って人格を形成していく。その取捨選択はとどのつまり自分自身であるから、好みを掘り下げていくことになるのだが、ただ好きなものだけを食べていても大きくなれない。第一印象では少々苦手なものや、難解なんてキーワードを入れたくなるのは、本能で成長を求める人間のあり方でありそれらが究極の「好み」になっていくことが多々あると考える。難解な書をなんとか読破して、そのまま強いパースになるなんてことですな。
中1の時に洋楽・ロックにハマった。当初は、英語という難解に対して背伸びしているのが快感でむさぼるように求めた。深夜のラジオから探す作業も大人の階段を上がっている気にさせてくれ、理解を深めようとしていく。とは言え、当初は耳ざわりのいい音楽ばかりを好んだ。アバやクイーンだったり、ツェッペリンやパープルあたりも、そのよさが説明しやすいという点では初心者向きだ (もちろん深く掘ればそこには多くが詰まっている) 。トトやジャーニーのような産業ロックと呼ばれたバンドたちや、ディスコ系なんかもすんなり入ってくるようになっていき、洋楽そのものにはもう背伸びや困難、刺激を感じなくなった頃だ。それらを欲しがる気持ちが向いていったのが、黒っぽいのを演っている白人ミュージシャンたちだった。洋楽慣れした僕が求めた困難だ。こじ開けてくれたきっかけはクラプトンで、じっくりと時間をかけてデレク&ドミノスの『いとしのレイラ』に狂った。そして中学時代も聞いたことはあったストーンズを、強く求めるようになった。
ミックのヴォーカルはもちろんだが、キースのギターとチャーリー・ワッツのドラムが僕にとって麻薬性が強く、完全なるジャンキーになったのは高校生の頃だ。アルバム『ベガーズ・バンケット』と『レット・イット・ブリード』を強く深く愛し、ストーンズは僕の永遠のアイドルに君臨した。日本ツアーで幾度となく目撃しているが、やはり初来日が感慨深く記憶に強く残っている。がんばって2公演のチケットを入手した。ストーンズを日本で観られる日が来るなんて信じられず、とくに初回は涙ばかりだった。
チャーリーのここにしか入らないというスネアが大好きだ。ドラムのおもしろさを教えてくれた人で、僕はドラムに取り組んだ頃に彼を真似て、スネアを入れる時にハイハットを抜くのを習得した。やんちゃなフロントマンたちに対して温厚なジェントルマンで、ライブが終わって見せる満足げな笑顔は、なんだかお父さんみたいだった。
チャーリー、ありがとう。ゆっくりとお休みください。