ヴィンテージアロハシャツの起源と歴史 (その5)
ヴィンテージアロハシャツの復刻を手がけるサンサーフが所蔵する、歴史的な価値が高い貴重なヴィンテージコレクションから7つのアイテムを厳選。それぞれが残した功績をとおして、アロハシャツの奥深いヒストリーをひもといていこう。
(『昭和50年男』本誌 2021年 9月号/vol.012 掲載
“ファッション狂騒曲”「アロハシャツのカルチャー徹底解説」より 抜粋 )
[前回] ■【ヴィンテージアロハシャツを学ぼう … #4】 金メダリストで伝説のサーファー、デュークの功績で全米に広まる! |
1937年からアロハシャツや水着のラベルに
デュークデザインであることを記載する契約を結んでいたブランド。
ブランド名: カハラ
大量生産時代の幕開け期に創業
アロハシャツは1930年代中期から既製品として販売されるようになったが、初期はムサシヤのようにシャツの仕立屋などで小規模に作られていた。そんななか、いくつかのスポーツウェアメーカーが創業し、工場で大量生産されるように。1936年創業のブランフリート・スポーツウェア社も、そうしたメーカーのひとつ。カハラは同社のブランドだ。このアロハシャツは、トルーマン大統領とハワイの英雄デューク・カハナモクの会食が行われた際にバックバンドのメンバーが全員そろえて着用したことでも知られる有名なデザインだ。
先見の明と大量生産でアロハシャツ界をけん引
デューク・カハナモクがシスコ・カジュアルズ社と契約する以前、1937年からアロハシャツや水着のラベルにデュークデザインであることを記載する契約を結んでいたのがブランフリート・スポーツウェア社。先見の明で言えば、こちらに軍配が上がる。同社は、仕立て屋で小規模に作られていたアロハシャツが工場で大量生産されるようになる黎明期の1936年に創業。同社によって手がけられ、ホノルルの高級店や米国本土で販売されたブランドがカハラだ。
ちなみに、一度手放してしまったデューク・カハナモクブランドの使用権は1961年に同社が取り戻し、現在ではサンサーフ (東洋エンタープライズ社) がデュークブランドを引き継いでいる。
→ 次回 (その6) へ続く
取材・文: 國領磨人 撮影: 西谷圭司 取材協力: 中野喜啓 (サンサーフ)
掲載アイテムに関するお問い合わせ: 東洋エンタープライズ
8月11日(水) より発売中!『昭和50年男』2021年 9月号/vol.012
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