昭和7年生まれの親父が生きていたら、今夜は戦争をテーマで盃を重ねただろう。と、平成7年の3月に逝っちまった親父のことを思い出す日でもある。もっと体験を聞いておけばよかったと、後悔するばかりである。空襲をどう乗り越えたのか。どんな恐怖だったのか。そして76年前の今日、玉音放送をどんな気持ちで聞いたのか?
310万人もの犠牲者を出した。空襲は全国各地を燃やし尽くし、沖縄は地上戦となり、原爆を落とされた。靖国で逢おうと、若者たちが次々に敵艦に突っ込んだ。そうしてたどりついた夏だ。体験した方々の気持ちとシンクロすることは難しいが、せめて知る方々の声を未来に残すことに努力したいものだ。
戦争を知らない子供たちである。戦後復興を成し遂げ、発展に発展を繰り返していた日本に守られて俺たちは育った。焼け野原の中から復興させた先輩方が、戦争には負けたものの暮らしを向上させることには決して負けなかった。その汗の量、熱の量の上に踏ん反り返って生きている俺たちだ。もっとがんばらなくちゃと自分自身に言い聞かせるのが今宵だったりする。と、そんな気持ちをつぶやき読者の皆さんと共有したいなと願っている。
父は大正生まれでしたので戦争は実体験として見て・生きてきたはず。
教えられたのは、『殴られたから、殴り返すでは、いつまでも仲良くなれない。これが大きくなってしまうと戦争になる。こんなバカなことはしてはいけない』というもの。
ルールのある戦い、スポーツなら大いに楽しもうというものでした。
そのスポーツの中にボクシングもありますが、これはケンカ(大きくすると戦争)には繋がらない、相手を尊重するものだ、とも教えられました。
生きていたら、おっさんになった私をどう見るんだろう。