ヴィンテージアロハシャツの起源と歴史 (その2)
ヴィンテージアロハシャツの復刻を手がけるサンサーフが所蔵する、歴史的な価値が高い貴重なヴィンテージコレクションから7つのアイテムを厳選。それぞれが残した功績をとおして、アロハシャツの奥深いヒストリーをひもといていこう。
(『昭和50年男』本誌 2021年 9月号/vol.012 掲載
“ファッション狂騒曲”「アロハシャツのカルチャー徹底解説」より 抜粋 )
[前回] ■【ヴィンテージアロハシャツを学ぼう … #1】 1930年代製。現存する奇跡の一枚! |
アロハシャツの歴史には日本人も深く関与している。
ブランド名: ムサシヤ
日本の職人がハワイで起業したブランド
日本からの移民として海を渡った職人、宮本長太郎がハワイで開いたテーラーがムサシヤ。こちらは、1920年代後半から30年代前半の間に仕立てられたものと推測される。その当時はプルオーバータイプが流行していて、ココナッツボタンが付いた今作も被りのデザインを踏襲。
海を渡った日本の職人がアロハシャツ史を変えた
アロハシャツの歴史には日本人も深く関与している。その代表格が1885年 2月8日に最初の官約移民945人の一人としてハワイに渡った東京出身のシャツ職人、宮本長太郎だ。
彼がオーダーメイドでシャツを仕立てる店としてムサシヤをオープンしたのは、1904年頃とされている。1915年には長男の孝一郎が店を継ぎ、和装用の反物で仕立てた和柄のシャツで1930年代に一躍有名となる。アロハシャツの起源は諸説あるが、そのひとつとして語られているのは、日系移民がハワイに持ち込んだ和服をばらした生地でシャツを作り、子供たちに着せていたこと。それを見た現地の人々が、ムサシヤに置かれている日本の反物でシャツをオーダーしたという。名門私立高校のプナホウスクール (オバマ元大統領も卒業生) で和柄のシャツが流行っていたとの記録も残っている。エラリー・チャンに依頼され、アロハ・バイ・キングスミスのアロハシャツを仕立てていたのもムサシヤだ。
→ 次回 (その3) へ続く
取材・文: 國領磨人 撮影: 西谷圭司 取材協力: 中野喜啓 (サンサーフ)
掲載アイテムに関するお問い合わせ: 東洋エンタープライズ
8月11日(水) より発売中!『昭和50年男』2021年 9月号/vol.012
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