先輩の定年

バイク関連の仕事を本格的に始めたのは18年前のことで、国内4メーカーを中心とした広報や宣伝担当の方と仕事をするようになった。最近では同年代の方が担当になることが多いが、かつてはずいぶん年上の方に攻め込んでいた。担当を外れてからもつき合う方が多く、担当業務を超えたところで議論ができる。そうした付き合いは仕事人生を大きくしてくれるものだ。

あるメーカーの担当者でとてもよくしてもらっている方が、今年の3月一杯で定年を迎えることになった。僕の師匠とも言っていい存在で、たくさんのことを教えてもらった。広報や宣伝についてはもちろん、ブランディングやマーケティング全般、海外の動向への視点の持っていき方、そして誠実であることの大切さなどなど、授業料を払うべきほどなのに、逆に仕事をもらって金を払ってもらっている(笑)。

定年前に最後になるかもしれない、師匠と差しで呑んだ。バイクの仕事を始めた18年前からのつき合いになり、始めて呑んだときも差しだった。和食屋に連れて行ってもらい、2軒目はカラオケスナックとのパターンは今回も同様で、夕方から深夜まで延々と続いた。あの日と変わらない飲み方ができる15歳年上は元気はつらつで、なぜ社会は引退を勧告するのかはなはだ疑問である。頭脳やセンスは衰えるどころか磨かれている。今回の宴にあたっても我が社を俯瞰で見て、今後どうするかの課題を抽出して整理立てたシートを作ってきてくれた。そこを基点に議論を始めて、答えを見出していくやり方は彼の常套手段で、僕も大いに学んだものである。

絶望的な数字を並べて超高齢化社会を憂いているが、こうした優秀な人間を画一的に引退させることはいかがなものだろう。だが国内の仕事はドンドン減っているのも現実で、仕方ない部分もある。その背景の1つには、グローバル社会が招いてしまったことは否めなく、その最先端となって突き進んだバイクメーカーにいたのは、なんとも皮肉なことである。

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